身体を動かす、操縦する
痛みを抱え。
痛みと生きることを肯定する。
いまいまの時点での変化として何が起きているか。
精神面で言えば、自らのエネルギーが空っぽでどうすればよいか、この状態で自らがポジティブに生きるエンジンが無いばかりかそのエネルギーはどこにあるのか。
無い物づくしを探す事に疲れ始めている。
身体はどうか。
相変わらずの酷い疲労感と押せば痛い体のまま。
薬を主治医の指示でトラマールからリリカに変えたが。
体の痛みは取れても疲労感がかなり残る。
重い、重い体。
リリカの特性か頭は何か変化させ頭と身体が離れてしまう気がする。
離人感、それが近い表現だろう。
身体を動かす、そう、無意識から意識的に体を動かしている。
もはや動かすというより体には誰も使わない動詞である、体を、操縦している。
生きるとはここまでの心身の変化を受け入れることななのだろうか。
私には生きている感覚がどうしても。
どうしてもその、生き生きとした、思い出すのが困難になりそうな、その感覚が、どうしょうもなく、今は得られない。
治療と時に残酷な行動ではあるのではないか。
生きることの意味を大きく変えさせてまで生きることを強要しているのではないか。
万人が考える治療。
その言葉にある完全なる善、その甘美なる善を認め、その美しさに共感する未成熟、シンプルではあるが自己完結した魂を持つ人々を動かし得る美しい世界、とは違う場所に私はいる気がする。
この困惑は私をどこに導くのだろうか。