線維筋痛症とは? No.2
私は癌を患ったことがないのでわからないが、線維筋痛症と癌患者とでは死に対する印象や感情がかなり違うのではないか、と思う。
線維筋痛症の私は死にたくない、という感情はあまり無い。
死はむしろ頻繁に頭をよぎる。
痛い、辛い。
どうすれば楽になるのだろうか。
しかし、有効な治療法はない。
これを繰り返せば誰でも死を意識せざるを得ないだろう。
死は敵ではなく、むしろ味方に変わる。
死は終わりの始まりであり、この苦痛を終わらせるゴールにすら感じ始める。
他に手がないのだから。
生きる希望がない。
つまり、絶望だ。
生きられないのでは無くもう生きたくない。
生きるエネルギーが無くなるのだ。
痛みや疲労感はこうして人を殺していく。
残酷な書き方だが紛れもなく線維筋痛症患者に湧き上がる極めてリアルな負の感情であり、常に生と死の揺らぎの中で生きているのだ。
こうして線維筋痛症は鬱、それも極度な鬱を合併させていく。
むしろ線維筋痛症と鬱はセットと考えるべきだろう。
統計的にも極めて強い相関性がある事からこれは医学的にも認められる事実だ。
誰も望んで鬱になるわけじゃない。
痛みに誰よりも苦しんで耐え忍んだ結果、精神も病んでいくのだ。
我慢が更に病状を悪化させるのだ。
しかし、今の日本に線維筋痛症を早期発見する仕組みは全くない。
健康診断の対象ですらない。
国は潜在患者数がかなり多いことを事実上認めているにもかかわらず、だ。
潜在患者が多すぎるが故に難病指定しないのだから。
治療に有効なアプローチがないことも国は認めつつもそれを認めると障害者認定が増大、財政に響くから難病指定しない。
これは日本国政府の明らかな差別だ。
分かっていて対策しない、見て見ぬ振りをする。
これは差別以外のなんでもない。
数が少なければ助成し数が多ければ見て見ぬふり。
不合理、不公平は現代でも普通に存在しているのだ。
差別は民族間だけに起きるわけじゃない。
差別はLGBTだけに起きるわけじゃない。
差別は病に苦しむ患者にも普通に降りかかってくるのだ。