私だったものをデジタルの海に流します。
書きたい事はあらかた残せたと思う。
だから、デジタルの海にこのブログを予定通り流して終わりにします。
色々あった。
楽しい事も辛い事も。
デジタルの海に私の言葉は沈む。
しかし、また誰かの目に私の言葉が止まれば私の言葉はその瞬間だけ浮かび上がれるだろう。
私の言葉に触れてくれた誰かさん。
こんにちは。
確かに私はここにいました。
そして、さようなら。
過去と向き合えない
すでに終わってしまった事。
随分自分勝手な解釈を重ねて今を生きている自分。
人はそうやって生きているから気にしなくて良い、という人もいるだろう。
それがどうやら私には不向きらしい。
過去をきちんと精算できていないのだろう。
結果、それらが積み重なりさらに過去を当ざけてしまったようだ。
ようだというのは、まだ自分では絶対そうだと断言できるほどのものではないから。
病に苦しみ、だから自分勝手に自分を甘やかし。
気がつけばそのストレスが更に積み重なり今に至った、のだろう。
そんなだらしない自分を自分はやはり許せないのだろう。
こうなるとどうすれば良いのか正直よくわからない。
誰にもわからないだろう。
自分自身を許し、自分の過去を許し、離れ離れになっている過去の自分と今の自分をきちんと重ね合わせない限り。
今のこの自分の状態から脱せないだろうと思う。
こうして自分の事を考えられている、何となくそうなんじゃないだろうかと考えられているうちは生きていけるのだろう。
果たしてまた高き山に登れる日がやってくるのだろうか。
過去がない。
よく考えてみると過去を振り返る事がほとんどなくなった。
人に言われて気がついた理由。
過去を振り返る事が怖いから、だろう。
確かにそうだ。
その通りだった。
過去に幾度となく辛い事があった。
人なら経験する事だろう。
それを振り返る事に耐えられなくなってしまった。
過去を許す事がもう出来なくなっていた。
長く一緒に暮らしていた人がいた。
その別れからだろう。
いや、別れる前から、か。
別れる事が怖い。
別れは辛い。
別れは寂しい。
自分の我が儘だけで続けていた生活に終止符を打った日から。
過去を振り返ることを止めてしまった。
別れた事が辛かった、からだろう。
全力で過去から逃げ出したのだろう。
そして、自分から過去が消失した。
今の私は過去がない。
ただの静止画やぼんやりとした動画らしきもの。
それがなんとなく点在はしている。
そこにもう想いはない。
そんな弱い人間が生きていく辛さを乗り越えられるわけがないよな、と思う。
そう、この弱さ、過去と向き合えない自分の存在が私の病の真の原因なのかもしれない。
線維筋痛症とは? No.2
私は癌を患ったことがないのでわからないが、線維筋痛症と癌患者とでは死に対する印象や感情がかなり違うのではないか、と思う。
線維筋痛症の私は死にたくない、という感情はあまり無い。
死はむしろ頻繁に頭をよぎる。
痛い、辛い。
どうすれば楽になるのだろうか。
しかし、有効な治療法はない。
これを繰り返せば誰でも死を意識せざるを得ないだろう。
死は敵ではなく、むしろ味方に変わる。
死は終わりの始まりであり、この苦痛を終わらせるゴールにすら感じ始める。
他に手がないのだから。
生きる希望がない。
つまり、絶望だ。
生きられないのでは無くもう生きたくない。
生きるエネルギーが無くなるのだ。
痛みや疲労感はこうして人を殺していく。
残酷な書き方だが紛れもなく線維筋痛症患者に湧き上がる極めてリアルな負の感情であり、常に生と死の揺らぎの中で生きているのだ。
こうして線維筋痛症は鬱、それも極度な鬱を合併させていく。
むしろ線維筋痛症と鬱はセットと考えるべきだろう。
統計的にも極めて強い相関性がある事からこれは医学的にも認められる事実だ。
誰も望んで鬱になるわけじゃない。
痛みに誰よりも苦しんで耐え忍んだ結果、精神も病んでいくのだ。
我慢が更に病状を悪化させるのだ。
しかし、今の日本に線維筋痛症を早期発見する仕組みは全くない。
健康診断の対象ですらない。
国は潜在患者数がかなり多いことを事実上認めているにもかかわらず、だ。
潜在患者が多すぎるが故に難病指定しないのだから。
治療に有効なアプローチがないことも国は認めつつもそれを認めると障害者認定が増大、財政に響くから難病指定しない。
これは日本国政府の明らかな差別だ。
分かっていて対策しない、見て見ぬ振りをする。
これは差別以外のなんでもない。
数が少なければ助成し数が多ければ見て見ぬふり。
不合理、不公平は現代でも普通に存在しているのだ。
差別は民族間だけに起きるわけじゃない。
差別はLGBTだけに起きるわけじゃない。
差別は病に苦しむ患者にも普通に降りかかってくるのだ。
線維筋痛症とは? No.1
線維筋痛症になると何が普通の人と違うのか。
人により痛さは変わるが様々な箇所の肉体が耐えがたいほど痛む。
人により辛さは変わるが様々な箇所の肉体が耐えがたいほど疲れているように感じる。
このコンビネーションが線維筋痛症と言える。
人により痛みや疲労度の感覚は変わるだろうが、これら絶え難い苦痛が続く結果、重度の鬱症状が発生する。
ただし、鬱病対策をしても線維筋痛症が鬱病を引き起こし続ける為、鬱病治療は対処療法にしか過ぎない。
良くなってもすぐ悪くなる、という事。
病んだ心では対人関係の維持すら難しくする。
頭に常にある事。
痛い、そして、心の底までしんどい。
こんな状態が年単位で続けば話をするだけでも苦痛になる。
しかし、周りの人には辛さが全く伝わらない。
下される評価は、
あの人は偏屈だ。
あの人は面白くない。
あの人は暗い。
結果、社会から隔離されていく。
そんなことは望んでないのに。
ただ、人と話すことが凄くしんどいから少し離れていただけなのに。
普通の人たちはそう考えない。
そして、気がつくと社会から離れ一人ぼっちになる。
家族からすら冷たい目線を向けられる。
これが線維筋痛症のステップの一つだ。
毎朝起きてまず思うこと。
体が痛い。
体が固まっていて動かない。
目の前にある薬を飲めば楽になれるはずなのにほんの少しの距離にある薬に手が伸びない。
体が痛い、重い、辛い。
体が痛い、重い、辛い。
体が痛い、重い、辛い。
これが毎朝起きて思うことだ。
私はどんな状況でも生き抜いてやる。
絶対に死ぬなんてあり得ない。
死なんて考えることだけでも恐ろしいし、考えたくすら無い。
これが健康なの人の死に対するイメージだろう。
私も健康な時はそうだった。
死なんてまずあり得ないし真剣に考えることすら面倒くさい、だ。
しかし、絶え難い痛みと疲労感が四六時中襲いかかってくると。
もうしんどい。
医者に行って薬を飲んでも全く良くならない。
医者からは遂にあなたにおかしい場所はない、とまで言われ嫌な顔をされる。
家に帰れば役立たずの怠け者と言われる。
線維筋痛症あるあるだと思う。
良くなりたい。
でも診断が付かない。
もう新しい医者に症状を説明する事にも疲れた、話したくない。
こんな状態が何年も続くことは線維筋痛症患者ではざらだ。
私もそれまでの大半は心療内科と自宅との往復だった。
頭が痛い、肩が痛い、背中が痛い、腕が痛い、脚が痛い、目が痛い。
そして気分はいつも最悪。
死にたいと思うこともやがて日常になる。
私は線維筋痛症と診断されるまでに9年かかった。
もうどれだけの医者にあったすぐに思い出す事は困難だ。
それほど様々な病院に通ったと言う事だ。
何をどう迷う
今考えていること。
生きるコストを埋めるインカムがない。
このインカムはお金だけではない。
つまり金があっても生きる理由が見つからない、という事。
痛い。
痛い。
痛い。
こんな状況で金はなんの役にも立たない。
金で解決ができなければ、金はただの紙屑だ。
早く終わらせたい。
これに尽きる。
2019/06/02
日記風に。
どうして生きるのだろうか。
この生暖かくオイル臭い匂いに惹かれて?
そんなはずはない、と思いつつ否定できない自分に少し戸惑う。
そういえば学生時代から長年バイクに跨り、あてどもなく走る。
流れ行く景色に身を任せひたすらスロトルを操作する。
楽しかったな。
そんな昔を思い出し、遠くに来てしまったと少し驚く。
場所もそうだがそんな過去が遙か遠くに感じることに。
誰とも共有していない時間。
自分だけで楽しんだ時間。
もう十分生きた。
後悔は本当にない。
ただ、楽に終わらせたい。
そんなわがままをどう実現させてあげれば良いのか。
自分が主体で自分がお客様。
ずいぶん面倒なクライアントだ。